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吉田 忠太

経歴

生年月日 1982/02/08
職業 ミュージシャンになりたい人
武器 シェクターっぽいテレキャス
マーチンミニギター
特色 重度の夜行性
1982 東京にて父・忠興、母・裕子の間に生まれる。西麻布のマンション住まいでボンボンとして育ったらしい。
1985 恐らくこの頃ピアノを習い始めたと思われる。まぁボンボンなら当たり前。
1988 小学校に入り、自分の叔父がプロのトランペット奏者である事実を知り、周りにそのような人があまりいなかったことから優越感を覚える。
1992 東山小学校の特設管弦団(オーケストラ)に入団。妙に高いプライド(ボンボンだから)をもっていたのでやたらといじめられる。
1994. 中学に入り、ブラスバンド部に入るが、人数が少ない分優越感も薄らぎ、練習に行かなくなる。この頃、M氏と出会い、ギターを弾いているのをみて憧れて自分も始める。
1996 冬、夜中によく家を抜け出し、公園でギターを弾いていたことがあったが、その時に現ドラゴンアッシュのふるやけんじに遭遇。初めてのエレキギターをゲット!
1997 都立目黒高校に入学し軽音に入ろうかと思うが、少し方向性が違ったので断念。出席番号の近い順に声を掛け、初めて自分のバンドを結成。当時のメンバー・・・水田、村瀬。後に村瀬をクビにし、山成を採用。いつからか五十嵐が混ざる。この頃の水田、山成は音楽の「お」の字も知らぬど素人。8ビートに辿り着くまでに3か月くらいかかった・・・。
この頃に親父が経営不振で会社が潰れそうになり、吉田家解散。家族はバラバラになる。
1998 表参道DO-DO BIRD(現JAZZ BIRD)のマスター、ナベ渡辺氏に誘われ、若干16歳でオヤジに紛れNABE渡辺BANDの活動に参加。今は亡き「江古田 BUDY」にて人生の初LIVEを経験し、緊張でガチガチの中、デビューを果たす。(以後5年所属の後、自ら起こした迷惑事件を機に、ナベ渡辺氏より「クビ」の通告を受け、脱退。)
1999 小学校の頃からお世話になっていた先輩から誘われて、東京で有名な音楽専門学校「メーザーハウス」の現役、OB混合バンド「ゲリライブ」に参加。渋谷ハチ公前でのゲリラライブをメインにアホな選曲で高いクオリティー。
2000

高校は卒業し、洗足学園大学音楽学部のジャズ科に入学。ジャズギターを布川俊樹氏に師事。ここでの同期でSAX奏者小林香織と出会い、彼女は2005年にビクターよりプロデビューを果たす。現在も現役で活動中。一方CHUTAは「遠い」というかなりわがままな理由を押し通し、2年で中退。

2002 一通りのいろいろな種類の仕事を経験した後、改めて音楽をやりなおそうと考え、高校の頃のメンバーを集め、NABE渡辺BANDで知り合った千田氏に講師を依頼し、千田塾を開設。活動を開始する。HOMEの「JAZZ BIRD」を始め、渋谷クラシックス、渋谷クロコダイルなどでLIVE活動を進行中。
この頃にストリートに出始め、渋谷でか弱く歌っているところをHIROSHIに捕獲され、なんやかんやで一緒にストリートをやるようになる。それを機に実家から家出し、当時世田谷の若林に住居を置いていたHIROSHIの家に転がり込む。ストリートから発展し、その頃の渋谷のそば屋「かわけい」のやす兄(per.&心の友担当)と3人で渋谷アピアを中心に活動をしたが、HIROSHIが高跳びすることが(海外に旅に出ることが)決まったので解散。

とある日、東京以外の世界を見てみたい、急に思い立ち、仕事も生活もすべて投げ出して折りたたみ自転車とギター一本に500円だけ持って、旅に出る。(これが前述、迷惑事件で、実際かなりの人数に迷惑をかけ、大勘当喰らう)東京から2週間かけ、静岡の浜松まで来たところで、自分の足で方言がある土地まで来たことに満足し東京に戻る。
2006 千田塾に復帰し、また活動を始める。何故かサラリーマンになる。1年間音楽活動を休止。                     
2007 サラリーマンを辞め、活動を本格的に再開。現在に至る。 


                                          最終更新日2007年10月1日

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